ニートのphaさんは、ただ繋がり方が世間一般的と違うだけだった【ザ・ノンフィクション】

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ヌイさ、ザ・フィクションの「家族と社会にサヨナラ」をかなり楽しみにしてたよね?どうだったの?
ヌイ
なんかね、こういった生き方もあるんだって不思議な気持ち。そして誰でもつながりは欲しくて、phaさんは世間一般的なつながりかたと方向性が違うだけだって初めてわかった。
 
 
どーも、ヌイ(@nui_nounai)です。
 
 
6月18日フジテレビのザ・ノンフィクションにて、『会社と社会にサヨナラ~ニートの幸せ~』が放送されました。自分とはかけ離れている生活をしていて、ちょっと不思議だった。おもしろかった。
 

日本一有名なニート、pha(ファ・ハンドルネーム)さん。名門、京都大学を卒業しているのに、「働かない」生活を送っています。

「ザ・ノンフィクション」ではphaさんの暮らしを2013年から4年間に渡って取材してきました。前回の放送で(6月18日)、phaさんが練馬の一軒家から、秋葉原に近い、ビルの1階の倉庫に引っ越したところまでを紹介しました。(中略)

 
「働きたくない」「社会が苦手」というphaさん達ですが、それぞれのやり方で、自分の好きな生き方を実現しています。彼らは一体どこにたどりつくのでしょうか?
 
実は私がphaさんを知ったのはつい最近で、「持たない幸福論」をきっかけに知りました。この本もすっごく面白かった。現在別記事で書評記事書いてますので、しばしお待ちを。
 
 
この本では「居場所の作り方」について、1つの章をまるっと使って書かれています。phaさん自身、「ギークハウス」というシェアハウスの空間のつくっている。みんなニートだ。
 
居場所というのは「安心して居られる場所」「自分はここにいてもいいんだと思えるような場所」のことだ。仕事をするのも、お金を稼ぐのも、友達を作るのも、恋人を作るのも、家族を作るのも、家を買うのも、飲みにいくのも、趣味を持つのも、大体全部居場所を求めてすることだ。人は居場所があれば生きていけるし、社会のどこにも居場所がない状態になってしまうと事件や問題を起こしてしまったりする。
 
内容には、同感している。でもなぜか、これにちょっと腑におちない自分がいた。
 
 
社会が苦手、家族が苦手なのに、どうしてコミュニティに所属できるの?と。そして空間を自分でつくったとしても、その人たちと一緒に共有できて生活できるの?と。
 
 
やはり本だけではイマイチ把握できなかったけど、今回の番組を通して一気に腑におちた自分がいる。その感想みたいなことを、備忘録として書いてみたいと思います。
 
 

世間一般的なレールから外れているからこそ、自分を肯定できる居場所がほしい

 

タイトルの「会社と家族にサヨナラ」にもあるように、世間一般的にはレールから外れる生き方になる。
 
 
結婚をせずに家族をつくらないこと、働かずにニートとして生きていくこと、会社やアルバイトをしても続かずにすぐに辞めてしまうことは、俗にいう、社会不適合者。
 
 
一般的な「つながり」から抜けることになってしまうからこそ、自分で自分の居場所をつくっていかないといけないみたい。
 

どんな人でも一人では生きていけないし、どこかでつながっていたい

 
私は大きな偏見が自分の中にあった。勝手に、ニートや引きこもりは人間が大っ嫌いで、人とつながることを拒んでいるんだと。どこか強いと思っていました。
 
人間は、自分のやっていることを他人に認めてもらえるとむなしさから遠ざかりやすい。仕事というのは他人のためとか社会のために何か貢献をすることだから、働いていれば周りの人に必要とされることが多くて、だから働くというのはむなしさから逃れる手段として昔から一番よく選ばれる効率的な手段だ。
 

この文章にもあるように、確かに社会にでて働くことで「みんなと一緒」という感覚はやっぱり安心する。レールから外れたくないとか、白い目で見られたくないとか。私もある。

 
 
ギークハウスの住人では「みんなと一緒」から逃げたからこそ、「普通じゃない」という強いコンプレックスや劣等感があって、それが画面上からも感じた。彼らは強いのではなく、ものすごく弱い。
 
 
マイノリティー同士が集まっているその空気感はすっごく不思議だった。そしてphaさんは「持たない幸福論」で、居場所を作るにあたり10項目を意識していると言っています。
 
 
  1. 複数の顔に顔を出す
  2. 合わない人とは棲み分けする
  3. 人の流動性を保つ
  4. ゆるさをもつ
  5. 自分が主催者になる
  6. 空間(ハコ)をキープする
  7. 用が無くても気軽に集まれるといい
  8. みんなと一緒にすることがあるといい
  9. 人の悪口はほどほどにする
  10. 滅びたらまた新しいのを作ればいい
是非興味があればどうぞ。
 
 
冒頭でも言ったように、本ではなかなか伝わらなかったことが映像を通して伝わってきた。映画化された小説を、映画→小説と辿っている気分になるのでおすすめ。 
 
 

ギークハウスの人々は、人とつながるベクトルが世間とちょっとずれているだけのことだった

 

一般的なつながりとして「家族」「会社」「学校」があって、普通ならがむしゃらにしがみついていこうとする。社会不適合者になるのが怖いから。たとえ嫌でもつながらなきゃと、自分を縛る。
 

 
私もまったく同じことを感じている。ギークハウスの人たちは、たまたまつながるベクトルが世間とはずれてしまったって感じ。
 
 
家族が嫌・会社が嫌・学校が嫌といた自分が嫌なことから、シンプルにただ逃げた人たちが集まっていた空間だった。そして1人1人の「個」がすっごく強い。まさにクリエイターって感じ。
 
 
Twitterで見ている限り批判派はかなりいた。確かに一見、ただ自分たちを正当化しているだけに見える。でも、自分たちがそれで納得しているのであれば、他人があれこれということはない。
 
 
自分の弱さと共有できる仲間がいれば、精神的に強くなれる。鬱や過労死で自殺するくらいなら、自分を肯定できる環境に居たほうが断然いいよね。
 
僕みたいに三十代半ばになっても貧乏で定職にも就かず家族も作らずにふらふらと怠惰な生活をしていると「将来が不安にならないのか?」というようなことをときどき聞かれる。  正直に言うと、それほど不安を感じてはいない。「まあなんとかなるんじゃないか?」とあまり根拠なく思っている。
 
私は家族が好きだし、就活が終わってこれから社会人に向かって進んでいく。「個」として働きたいという欲求はあるけれど、それはあくまで会社員をしながら複業という形で行う。だから彼らの生き方をマネしたいとは思わない。
 
 
そんな私だけど、もっとこういった自由な生き方はあっていいと思うし、ザ・成り行きに任せる生き方をしていてちょっと憧れている自分がいる。複数のコミュニティは、今後もっと大切な時代になってくるしね。
 
 
こういった弱さと強さを持った集合体は、この先どうなるのかとっても楽しみ。このままずっと、成り行きにまかせて生きてほしいなって思います。
 
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94年生まれの女子大生。複業として自分の名前でも仕事がしたい。自分メディア『ヌイの脳内』は名刺作り感覚で運営中。脱力系女子だけど、考えることは大好き。

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